VOL.19 「歩く」の無意識性 ~長兄のsmall talk~
こんにちは長兄です。今回は脳卒中も絡めた歩行についてのお話。
「歩く」という動作は当然のように日常的に繰り返す動作であり、普段は気にとめることは少ない。しかし、この動作が突然なんらかの原因で失われた場合はどうなるだろう。おそらく日常生活の様子が一変することになるのではないだろうか。
たとえば、足首を捻挫した場合を考えてみてほしい。立ち上がる際に覚悟を決め、一歩踏み出す前にためらいが生じ、室内におけるほんのわずかな移動にも時間がかかる。痛みが治まってきたとしても、痛みの再発を恐れて逃避的な歩き方が身に付いてしまい、当初痛めた場所とは異なる腰や膝などに新たな痛みが発生することがある。そのような歩き方が身に付くと、これまでどのように歩いていたかを忘れてしまい、癖のある歩き方をするようになるだろう。
脳卒中後片麻痺を発症した場合にはさらに問題が大きくなる。身体の半身の自由が奪われ、感覚が麻痺し、当たり前のように行っていた「歩行」をどのようにすればよいのかがわからなくなる。自分自身としては同じように身体を動かしているつもりでも、実際には思うように動かない。それだけでなく、どのように動かすことが正しいのかすら見当がつかないこともある。
そもそも「歩行」は、700万年前に獲得されたヒトという種を特徴づける運動である。誰もが1~2歳で歩くことができるようになった後、1日に数千歩以上を毎日繰り返し歩行している。したがって、「うまく泳げない」「うまく踊れない」ということはあっても、「うまく歩けない」という場面は想像することが難しいかもしれない。しかし、当たり前のように日常的に行われている運動であるからこそ、ほとんど意識することなく行われており、かえって運動の詳細について意識することが困難となるのではないだろうか。事実、前述の捻挫や脳卒中の例のように、なんらかの身体の障害を負った場合には、どうやって身体を動かすのが正しい歩行だったのかが思い出せなくなる。
歩行再建 歩行の理解とトレーニング
著者 大畑光司
第1版第2刷C
諸言
1)「歩く」の無意識性 「p.1」 より直接引用